貧乏は美徳だ!
50代, 男性, その他
貧乏だと自覚してからはや3年ばかりになる。本人は貧乏なのに周囲はそう思っていない、しかしどう考えても貧乏だ、だってかなりの我慢と節制をしている。しかし一度過去を振り返ると改めてこの貧乏は自分の習慣の一部になったことに気がつく。貧乏であるが故の知恵がつく。電気ガス水道の節約は勿論、鼻紙一枚にまで節約は徹底している。なのに余裕は一向に実感できないのだ。なぜだ!
結論は時世なのだ。昔の人は産まれてから死ぬまで終生節約を美徳として、せいぜい贅沢は盆と正月くらいだった。昔は極端に言って金を使う所がなかった、誘惑がなかったのだ。結果として貯めた分だけタンスや畳の下に証拠が残ったが、今はここが違う!
何もしなくとも税金だけは偉そうに催促に来る、電気ガス水道ですら一度も使わなくとも催促が来る。何よりも食料はスーパーにでも行って調達しなければならない。おおよそいくら節制しても
車、部屋代を抜いても月に8万円はかかると見ている。
ところが今年思いがけぬ経験をした、北海道のニセコに一時的だが住むことになった。そこで生まれて初めての経験をした。給料から使った金は僅か2980円だけであったのだ!米代のみ!
おかずはそこいら辺におがっているタケノコ、蕗、コゴミ、ウド
なにやら野草辞典を見ていたら雑草とおぼしき草まで立派な食料であった。単純に雪が降るまでの半年間は毎月2980円で通せる!いや本当にそうなのだ。
アメリカは消費社会である、しかし贅沢に対してであり、最低限の生活に対してではない!ここが日本と明らかに違う!アメリカに2年いたのだから間違いない。因みに1985年当時1ドル130円くらい、この1ドルでどんなに物価の高い地域で買い物をしても最低牛乳パック4本以上は買えたのだ。130円で日本では一体何が買えるか?
今や日本も消費社会である、間違いなく!しかし食えるか、飢えるかに対しての消費である、ここが何とも腹立たしくもむなしい国家なのだ。北朝鮮がどうのこうのなどと馬鹿にしている立場にはない、実態は酷似している!苦しむ民衆の数が少ないにすぎないだけだ。ましてこういう実態に蓋をするあたりは北朝鮮とうり二つである。一旦飢餓が始まれば最初に淘汰される人種は子供老人、地域では都会からとなっている、残るのは驚く無かれ、元気な青年はさておき、昭和初期の人と同様の経験を持つ人となっている。享楽は人を堕落させると言うが、堕落より生命力を失うと言ったほうが良いかもしれない。かくして貧乏は人に智恵を与え
人を強く鍛える!その意味では貧乏は人生のプラクティス、訓練なのだ!
精神面においても心のむなしさを払拭すべくパチンコやギャンブルに身を置かず、一生掛かっても読み切れない様な本を一冊持ち
思考の癖を習慣化する事をおすすめしたい。いずれ訪れるであろう貧乏人を崇拝する日を待って、これにて終了。