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≪貧乏生活体験記≫
一生貧乏
60代, 男性, 自営業
私は10歳で母親に捨てられました。(父親は私が3歳から肺結核の為に入院していて14歳の時に病死)兄嫁と母親が不仲で 10歳の時に出て行きました。1年に一回位日帰りで来るくらいです。当然兄嫁にいじめられて本当に辛い思いをしました。
ようやく中学校を卒業して、東京江東区清澄町の松本自動車という自動車修理工場に就職しました。これからが本当の地獄でした。仕事は住み込みです。最初の部屋は6畳間に二段ベッドが両脇に四つのところに7人住まわせられました。(工場の上に6畳間の部屋が3ツ有りましたが2ツの部屋は人に貸していました。)この状態が約半年です。仕事の時間は朝8時〜12時  午後は13時〜18時
残業は毎日19時〜23時 合計13時間毎日仕事です。
毎月の休みは5日と15日の2回だけです。それで給料は残業代も入れて1ヶ月1500円です。当時菓子パンが10円です。
休日と残業時間の食事は支給有りません。1500円は一週間の
食事代だけで消えました。
腹はいつでもぺこぺこです。お金が無くなると、コッペパンを3切りにして、1日分の食事です。後は水で我慢しました。
信じてもらえないかもしりませんが本当のことです。
半年後に1万円にしてくれましたが、それから入社してから、 18歳までにげだすまで変わりませんでした。(なぜすぐ逃げ出さなかったというかたもいるかもしれませんが、当時は15,6歳の田舎の子供です。無理です。)
その後遺症で17歳の時に顔に白癜という病気で顔の25%(皮膚が白くなる不治の病気です。)がこの病気の為に仕事は思うようにいかず、結婚も当然出来ませんでした。(気持ちが悪い、移されそうで怖いといわれました。)こんな辛い人生は何万人に何人いるんだろうかと思います。辛さは死ぬまで変わらないとと思います。
もし松本自動車の社長の墓の場所がわかれば破壊したい気持ちです。今64歳ですが生まれてから、苦労と辛さの連続です。
現在は人に自慢出来ない自営業を一人で細々とようやくやり
何とか命の火を灯しています。勿論相変わらず大貧乏です。
意見総数:2 件 [ 1 件 〜 2 件 を表示]
ナカヒロヒロ。 40代 女性 自営業
あなたが、パソコンを扱える60代である事と、5体満足である人生をご両親から授かった事に感謝しましょう。
昔は、現代と違い子連れの母子は好奇な目で見られ仕事や再婚に不利だったのでしょう。
今の時代なら、母子生活で再婚など考えなくても生きて行けるかもしれませんが、昔はきっと違ったでしょうに。
捨てられた・・・なんて思わないで母親を優しくいたわれる息子さんでありますように。
松本自動車の社長の墓?恨みたい気持ちは解りますが、逃げられないようにお金を与えなかった・・・のかもしれませんね。
あなただって、お金を貯金できる身の上だったら、とっくに逃げ出していたでしょう。
食べたい盛りに大変でしたね。
終戦後、貧しい時代だったと思います。
「ああ野麦峠」も似たような内容でしたね。
これから、残りの人生を幸せに生きましょうよ。
PC出来るだけでも、出来ない60代より違う世界や喜びを知っているかもしれませんよ。
他人や肉親を恨まない、恨まない、前進あるのみ、ただひたすら前だけを見て、本当の苦労をしたら他人には語れなくなるかもしれませんよ・・たぶん、ネ。
ジョン 40代 男性 その他
自分のあまさがわかりました。本当にたいへんでしたね。あなたがかみにみまもられますように。
 
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